(21) 家は生き物

熊野大社の鑽火殿【記事の概要】
 家の写真を撮ってぐったり疲れた。それは家が生き物であり、写真と撮るということは、家の波動と交流するから。
 家が生き物であることをあらためて深く確認した。

 左の写真は、熊野大社の鑽火殿(さんかでん)。
 清々しい。

町歩きして家の写真を撮る

 ある住宅会社の「町歩き」イベントに参加した。
 数人のグループに分かれて、住宅街を歩き、その町並みを見学するというものである。

 私はそのグループの写真撮影を担当し、自分やメンバーの気に入った家や町並みをデジカメでパチパチと取りまくった。その数、およそ100枚。
 それをすべてプリントして、グループディスカッションを行ったのである。

 帰宅して、あらためてその写真群を妻と眺めながら、またあれこれとディスカッションを重ねた。

 やがて異常に疲れを感じて、その夜は予定していた仕事も取りやめて、9時過ぎには布団に入って寝入ってしまった。

疲れの原因は写真撮影

 翌朝、6時になっても起きられない。
 7時過ぎてやっと身を起こしたのだが、異常に疲れが残っている。
 不思議に思って、色々と調べてみると、昨日の写真撮影が原因であると分かった。

 100枚ほどの家の写真を撮るということが、何故、こんなにも疲れるのか。

疲れる波動を発する家

 問題の住宅街は、山を切り開いて新しく造成された土地に緑豊かな通りを実現すべく、行政と造成会社と入居者とが一致合意して、他所には見られない特色ある町作りをしている。

 無機質な塀の代わりに、緑のカーテンでもって敷地を区切り、ガレージには必ず木材の枠を使用しているなど、地域一帯となって、町並みを調えるという努力をしている。とても素晴らしい試みである。

 そこに立ち並ぶ家々も、それぞれに工夫をこらして装っている。皆、外見は美しい。

 しかし、・・・・・。

 100枚の写真を一枚一枚、ある方法を使ってよく調べてみると、中に、強烈な波動を発している家が数件混じっていた。
とても疲れる波動である。

 これが、異常な疲れの原因であった。

写真をとることはタマ結び

 そういう家の前を、ちらりと眺めて通り過ぎるだけなら、何ということも無いであろう。しかし、写真を撮るということは、通り過ぎることとは大違いの行為である。

 家の写真を撮るためには、先ず家を撮ろうと心を定め、カメラを向けて構図を定め、ピントを合わせ、最高の瞬間を切り取ろうとしてシャッターを押す。こういう意識の積み重ねがあって一枚の写真を撮ることが出来る。
 つまり、そのお家さんに近づいて、挨拶して、握手して、大いに交流するという事になる。

 写真を撮るということは、一種のタマ結びと言えよう。
 家の写真を撮るということは、その家とタマ結びすること。
 まあ、わかりやすく言えば握手するようなものである。

 それ故、家の写真を撮ることによって、その家が持つ響きをごっそりとこちらの中に入れてしまう。家によっては、それがとても疲れる。

 こういう場合に、鎮魂球でも持っていれば、その疲れを鎮魂球に肩代わりしてもらうことができたのだが、あいにく、そういう事態になろうとは予想していなかったので、鎮魂球は持って出なかった。

禊ぎして疲れを取る

 原因が分かったので、早速、疲れの元となる写真を選び出してすべて消却した。不要な写真も含めて処分したので、残りは40数枚。

 不要写真を炊きあげた後、洗身して禊ぎを行い。朝拝祝詞を奏上して、ようやく身体が旧に復した。

 写真を撮るだけで、あんなに疲れるとは、あの家たちは、一体、何者なのだろうか・・・。

家は生き物

 家は生き物である。それは単なる無機物の集合体ではない。
 家は、家の住人とともに生きている。住人の心の響きを色濃く映して生きている。

 人間の持ち物の中で、とりわけ、家というものは、人間と深く交わって生きている。

 それ故、家と交流するということは、その家の住人と交流するようなものである。その住人の心の響きがとても疲れるものであれば、その家の波動もとても疲れるものとなる。

 一見とてもすっきりとしてキレイに見えるのだが、住人の心の響きはごまかせない。

生き物には祭りが必要

 逆に、家を建てる際に、地鎮祭から始まって立柱祭、落成祭をきちんとお仕えし、心正しく生活なさる人の家は、清々しさにあふれることになる。
 生き物であるから、祭りが必要となるのである。

 地鎮祭をお仕えして、産土神や大床の神をお迎えし、立柱祭で家の柱を天に結び、落成祭で家舟(やふね)の神が家に重なる。

 そういう祭りをきちんとお仕えして、神々と共に生きていくのは、祭祀民族たる大和民族の生き方である。

 町歩きした住宅街の中には、とても清々しいほれぼれとする家も多数あったことを付け加えておく。

 まことに、家は生き物である。