【友の会通信】2014-09-22 人間この複雑なるもの(3) 樹木の精と人の血精がつながる

明日(9/23)は秋分のみたま祀りの日。
春のみたま祀りは、少名彦那(すくなひこな)大神が首座におつきになり、
秋のみたま祀りは、大穴牟遅(おおなむち)大神が首座にお着きになります。

よい祀りをなさってくださいませ。

人間・この複雑なるもの(3) 樹木が人間とつながる

前回の”【友の会通信】2014-09-08”では、人間が精によって先祖と繋がっているという話しをいたしました。

一個の人間の肉体だけを観ていても、その人間を深く理解することはできません。
その肉体が、さまざまな繋がりの中で生きていると承知すべきです。

精によって先祖と繋がるというのは、理解納得しやすいと思います。
では、まるで先祖とつながるかのように、樹木とつながる人間がいるということを理解できるでしょうか。

実際、そういうことがあるものです。
日垣宮主師のご著書『人と神と悟り』から、その例をひきましょう。
樹木が人間の血精と深く結びついていたというお話を、上記の書物から取り出します。

宮主師の母方の里に、椎の古木が十数本、街道沿いに太い枝を張って
繁っていました。その椎の木から取れる椎(しい)の実(ドングリ)は、
これを茹でて人々の大切な食料としてきたとか。
祖父の代になって、街道が暗いからというので、この古木を全部切って
しまいました。
その結果、街道は明るくなったのですが、入学前の長男が急死し、
続いてその子の母親が急死、さらには祖母までが急死しました。

原因は椎の木の伐り取りです。
椎の実は永年にわたって人々を養って参りました。
農作物の不作のときは、人々の飢えを助けてくれました。
その樹木と人の寿命には深い縁が結ばれておりまして、
里の家人(いえびと)の血精につながっておりました。ですから一家の
運命にも結びついていたのです。

その木を全部伐ったらどうなるでしょうか。
血精の流れが止まって当然でしょう。

これを運命というべきでしょうか。あるいはまた悪運というべきでしょうか。
いいえ、運命でもなければ悪運でもありません。
恩を忘れた報い、なのです。

(中略)

樹木を伐るなら伐るための礼儀作法があるのです。
岩石を採るならそのための礼儀作法があるのです。
田畑を住宅地に変えるならそのための祭祀がございます。
その一つ一つをやらなければ、ますます世が乱れ人間の運命が乱れる
ばかりです。」
(日垣宮主・著『人と神と悟り』 P.144ーP.155)

人が何代にも亘ってある土地に住んでいると、その土地に生える樹木の精とその一族の人々の血精とが、響き合うことがあるのです。

その響き合いのバランスの中で生活していた人間が、遠慮会釈も無く樹木を切り倒すと、バランスが壊れて、人間の肉体維持に支障を来すことすらあるわけです。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などが、背後のエネルギー体とつながって事をなしてきたように、この一族も椎の木と共に生き続けてきたのです。

そのバランスをどうしても変更せざるを得ない場合には、正しい祭祀作法に則って、礼を尽くしてこそ、日本人の生き方と言えるでしょう。