【友の会通信】2014-04-12 大物主クシミカタマの大神

友の会道友諸兄姉へ

 先週4月5日は、山の辺の道ナンバ歩きの会を催し、参加者11名まことに愉しい時間を過ごすことができました。
 単なる道歩きではなく神事であると事前に申しておりましたが、果たして、想いの外の効果が各人の人生に及ぼされそうであります。

 ▼昌原筆録(32) 山の辺の道をなんば歩きする会・報告
  
 大神(おおみわ)神社の御祭神は、大物主クシミカタマの大神と申し上げ、物にタマシイを籠めなさる神さまです。
 大とは、すべて。
 大物主は、すべての物の主。
 クシミカは、団子を串で貫くように、物のなかに貫く通っていく神力。
 タマは、たましい。
 つまり、大物主クシミカタマの大神とは、すべての物の中を貫いていく神力で以てタマシイを籠めなさる神。

 例えば、いっぱいのキツネうどんが目の前にあるとする。
 キツネうどんは、単なるキツネうどんという物に過ぎない。
 しかし、そのキツネうどんに人間の意識を掛ける。祈りを掛ける。言霊の力を掛ける。
 おい、キツネうどんさんよ、お前さんは「顔を洗って出直したくなるキツネうどん」となりなさい、とのりごとする。
 そののりごとの背後で大物主クシミカタマの神力がはたらくと、それは本当に「顔を洗って出直したくなるキツネうどん」に変身する。
 そのためには、常日頃から大物主クシミカタマの神と神線を太く深く保つ努力が必要でしょう。

  ▼昌原筆録(31) 顔を洗って出直したくなるキツネうどん
  
 日本語の「物(もの)」は、西洋語の substance, material の訳語である「物質」とは甚だ異なる別物です。
 人間は生命という物をもっている、心という物を持っている。この「物」は「物質」ではありません。大物主の「物」です。
 であるが故に、日本神道を護持するという役目を持っていた一族を、物部氏と申し上げるのです。
 日本がモノ作りに優れているのは、大物主の「物」つくりに優れているということです。
 日本のモノ作りの根本に、酒造りがあるといってよいでしょう。
 であるが故に、日本全国の蔵元たちは、大神神社から杉玉を戴いて軒下に飾るのです。大物主クシミカタマ大神の神力を戴いて、酒造りをするのです。

 そうして作り上げた日本酒が、神祀りにかかせない神宝となります。
 結婚のタマ結びを行い、三三九度の盃を交わすのも、米で造った酒でなければかなわないという秘め事があるのです。

 母親がご飯を炊く。母親自身が大物主クシミカタマと化身して、この米や、吾が子の命を育む米となれと祈りをささげて炊きあげる。
 子供もまた、この米や、吾が人生を開く米となれと申し上げてそれを戴く。
 それが祭祀民族の生き方なんですよ!

 この度の「山の辺の道なんば歩きの会」は、山の辺の道の南半分を歩いたのですが、残る北半分を歩く会は、会員諸氏の要望にあわせて考える事にいたしましょう。