文化の根底にある日本語(文化とは集団共通の行動パターンともの)

今日11月3日は文化の日。
日本には日本の文化があり、アメリカにはアメリカの文化がある。
では、文化とは何か、お考えになったことがありますか?
日本文化と日本語の関係について、お考えになったことがありますか?
文化とは集団共通の行動パターン

文化とは、集団を構成するメンバーが共通してもっている行動パターンであり、その行動パターンを支えている全てのものです。
 ・共通行動パターン
 ・それを支えるもの

ただし、この「もの」は物質に限定されるものではありません。日本人の心というものも含まれるのです。
(参考:モノの話(1)モノは物質ではない

文化とは集団メンバー共通の行動パターン

例えば日本人であれば主食は米のご飯であり、瀬戸物の茶碗にごはんをよそい、木の箸を使って戴きます。
日本人がご飯を手づかみで食べると不作法と見なされます。
しかし、インドでは、カレーを手でつかんで食べますね。
日本人には日本人が共通してもっている食事の作法があり、それが日本人の食文化であります。
同様にインド人にはインド人が共通してもっている食事の作法があり、それがインド人の食文化です。
インド人にとっては、カレーの手づかみは不作法ではないのです。それはインド文化的であるわけです。

同じ米のご飯を食べる韓国では、ご飯は金属の器に入れ、箸も金属製を用います。
金属の器に熱いご飯を入れると、熱くて持てません。
そういうことから、韓国食文化においては、ご飯の器を手にとって持ち上げることは不作法と見なされます。
日本の場合は、お茶碗には糸底がありますので、熱いご飯をよそった茶碗を手にとって、箸で戴くのが日本の食文化です。

韓国ドラマなどでは、豊臣秀吉は当然憎き悪役として描かれますが、その際に秀吉を演じる役者は、わざとご飯を持った器を手にとって、不作法な人間であることを韓国民にアピールすることもあります。

文化とは、集団を構成するメンバーが共通してもっている行動パターンであるということ、お分かり戴けたでしょうか。
集団が異なれば、行動パターンも異なるのです。

文化とは共通の行動パターンを支えるもの

次に、文化とは共通の行動パターンを支える「もの」であるということについて考えましょう。繰り返しますが、日本語のものは物質ではありません。物質を含みつつ心というものも、日本語ものに含まれるのです。

インドや韓国とは異なる日本人の食文化を可能ならしめる為には、熱いご飯や熱い味噌汁を手に取る事ができるように、糸底を付けたお茶碗、糸底を付けたお椀が必要です。

熱いコーヒーを飲みやすくするために、コーヒーカップの横手に「取って」を取り付けて、片手で採り上げるのは、欧米の文化です。
日本では茶碗に糸底をつけて、左手に茶碗を載せて右手を添えて、両手でありがたく茶を戴きます。

そこで長年月に亘って、焼き物(陶磁器)の文化が洗練され、漆塗りの文化が洗練されてきたのです。
瀬戸物や漆のお椀という「もの」が、日本人の食文化という行動パターンを可能ならしめているのです。

さらにまた、日本人であれば食前に「いただきまーす」と唱えて食事を始めます。
これもまた日本人の文化です。

その「いただきます」というのは、食事を調えてくれたお母さんに対する感謝を含みつつ、それに限定されず、何かしら大いなる存在のおかげでこの食事を頂戴できるという感謝の念が含まれています。

つまり日本人の心という「もの」が日本人の食文化(行動パターン)を支えているのです。

ご飯を茶碗に「装(よそ)う」という。
単に食器に食べ物を放り込むのではないのです。「装う」のです。
この「装う」という言葉にも、食事に対する日本人の心が含まれているのです。

日本文化の根底にある日本語

こう考えてきますと、日本文化の根底に日本語があるということが納得されてきますでしょう。

外国人が日本にきて、現金を入れた財布を落とし、その財布が現金とともに戻ってくるということに大変驚くそうです。
現金入りの財布を拾って、その現金を抜き取らずにそのまま交番に届ける。
これも広い意味で、日本人の文化的行動と言えるでしょう。申し訳無いが、アメリカではまず絶望的でしょうね。
日本語アップダウン構造の奥に神が内蔵されている日本語は神である
この日本人の文化的行動を可能ならしめている根本要因は、日本語です。
日本語アップダウン構造の奥に神が内臓されていて、その日本語を生まれてこの方使い続けているから、日本人の心の奥底に神の調和精神が充ち満ちているのです。
だから欧米宗教国家から「無宗教」と思われている日本人の倫理意識が、欧米人も下を巻くほどに高いのです。

日本のものづくりが、日本語アップダウン構造に満たされている日本精神によって支えられているのですから、日本文化の産物たる「もの」である茶碗やお椀が、日本人の心という「もの」と連動して、日本人の行動パターンを可能ならしめているのです。
(これだけはお読み下さい → 日本語の精髄アップダウン構造

子どもに文化の意味を教えよう

今日は、文化の日。
文化というものが、集団共通の行動パターンであり、その行動パターンを支えている「もの」であるということ、その「もの」の根本に日本語があるということを、子ども達にも話してやって戴けませんか。

日本全国の真太朗君、紗良ちゃ、美都ちゃん、ついでにオチビちゃんかも知れない芙美乃ちゃんにも、文化について話してやっていただけませんか。
子どもの理解力を侮ってはいけません。
オチビちゃんだからまだ早い、と考えるのは大人の感覚です
子どもはそれなりに理解するモノです。
日本全国のお母さん方、頑張って、せめて今日ぐらいは文化的行動をなさって下さいますように。